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Rama
lX, King Bhumibo Adulyadej(1927年12月5日生)ラタナコーシン王朝第9代目。幼名にちなみ、プーミポンアドウンラヤデート王ともよぶ。 1927年に、ハーバード大学で医学を勉学中であったラーマ5世の第69子であるソンクラーナカリン親王とシーサンワーン母后の末子としてアメリカで生まれる。 幼少時代をスイスで過ごし、戦後の45年兄アーナンダマヒドンの国王即位に伴い帰国し、翌46年6月の兄王ラーマ8世の変死により後継者に推され即位。即位と同時に再度スイスに戻りローザンヌ大学理学部で勉学を続ける。 1948年10月スイスで交通事故に遭う。1950年帰国し即位式典を挙行すると同時に、スイスでロマンを咲かせた王族出身のM.R.W.シリキット・キティヤーコーン嬢と結婚する。2人の間には、ウホンラット王女、ワチラロンコーン王子、シリントーン王女、チュラーポーン王女の1男3女がある。 1956年10月には伝統的慣習に従い短期間出家する。60年代のサリットおよびタノーム政権による国王権威の積極的推戴は絶対的求心性を有する敬慕の的として国王を国民の間に定着させたが、国王自身の政治的成熟と人格に負うところも多かった。それは地方巡幸、病院や施設の慰問における一般民衆との接触時にみせる慈愛のこもったことぱや態度、音楽祭やヨットレースへの積極的参加にみせる多才ぶり、一般には「王室プロジェクト」とよばれる人工面研究、土地改良、灌概整備、病院建設、山岳少数民族救済、児童百科事典編纂などの多彩な社会活動を通じてみせる社会改革的姿勢に見受けられる。 1973年の「10月14日事件」で示したみごとな混乱収拾の役割は、政治への深入りを危倶する声が一部にはあるものの、カリスマ的国家元首の一面を垣間みせてくれた。毎年恒例の12月5日の誕生日と新年の挨拶には、自身の考えを娩出的に散りばめ、国民へのメッセージとしているといわれ、各方面から注目されている。訪問外交にも積極的で、1963年には日本を公式に訪れている。在位期間がラーマ5世の42年を超え、タイの王朝での在位最長記録となっている。 |