先タイ期の美術様式
ドヴァーラヴァティ美術様式
(7〜11世紀)
 7世紀末に存在したトヴァーラヴァティ王国の名(堕羅鉢底「大唐西域記」)を冠する美術様式で、仏教を基盤とし、かなり広い地域に広がっています。
 この美術はモン人の興隆期に展開され、彫刻に特徴があり、現存する建物の「ストゥーパ=チェディ」では基壇や階段の一部が残っているに過ぎません。これらの建物は一般に煉瓦造りで、赤土系焼煉瓦を漆喰いで、積み重ねていく手法がとられ、スタッコ装飾あるいはナコン・パトム、ウートーン、クー・ブワなどの地方でごくまれにテラコッタ装飾が施されていることがあります。
 彫像は仏像(石材、青銅、スタッコ、テラコッタ)に限定され、インド的もしくはヨーロッパ的ともいえる座仏像があり、他に立像もあります。説法する像容が多く見られ、またこれに法輪が加えられている場合もあり、インド仏教の最も古い図像伝統を継承しています。現在までのところ、同じ頃各地に展開した仏教美術の中でこの美術様式を採り入れたのはトヴァーラヴァティ美術様式以外には確認されていません。
Dvaravati
ドヴァーラヴァティ美術様式

ドヴァーラヴァティ王国の首都ナコン・パトムは、 タイ王国に初めて仏教が伝えられたとしても知られている。このプラ・パトム・チェディの原形もそ の頃建立。11〜12世紀にクメールによって破壊されたが、釉薬タイルの色鮮やかな大仏塔と して19世紀にラマ4世が再建した。
シュリヴィジャヤ美術様式
(8〜13世紀)
 スマトラ島一帯を支配したシュリーヴィジャヤ王国が、8世紀にマラヤ半島に領域を拡げていった時代に創出した美術様式です。
 この様式は大乗仏教とヒンドゥー教の影響を受け、当時のインドネシア美術の影響が色濃く反映していることからほかの様式と区別されています。その痕跡を留めるチャイヤー地方などの建造物は残念ながら損壊が進んでおり、あるいは過剰な修復がなされたりしています。これらの建造物はチャンパ美術様式とも通じています。
 彫像類(石造製、青銅製)は造像技術の点からみてもまた図像学上からみても見事で、すでに確立されていたドヴァーラヴァティ美術にも影響を与えています。しかし10世紀以降になると、シュリーヴィジャヤ美術様式と共に大乗仏教やヒンドゥー教の信仰も影を潜めてしまいます。マライ半島部のナコーン・シー・タマラート地方に、この美術様式が僅かに名残を留めています。
Srivijaya
シュリヴィジャヤ美術様式

スラタニのワット・プラ・ボロマサートは、ラマ5世 によって再建されている。
ロッブーリ美術様式
(7〜14世紀)
 この名称は最初11〜13世紀のロッブーリ地方と東部タイに見られるクメール様式美術を指していましたが、本来はダンレック山脈の北部地域、特にムン川流域におけるクメール様式の伝統美術あるいはクメール系に属する美術作品全体の呼称です。
 しかし、12世紀末から13世紀初めにかけてクメール美術の一様式であるバイヨン様式が導入され、それに加えて地域的な手法へつくりかえています。シー・テープには8〜9世紀頃から工房があったといわれ、いうなればロッブーリ美術の伝統的な構成と手法は独自の美術様式といえます。7〜9世紀の建築装飾(まぐさ)および彫像(特に8〜9世紀の青銅像)などから、この美術様式が初期から重要な位置を占めていたことがわかります。
 13世紀半ば以後アンコール王朝の威光とその活動が退潮すると、ロッブーリ地方はさらに独自性を深め、12世紀から継承してきた伝統を発展させていきました。やがてタイ美術を象徴する塔堂形式のプーラン(ロップーリ)様式を創り出し、多彩な彫刻作品が生み出されます。この彫像芸術はアユタヤ様式美術の開花隆盛とあいまって活況を呈し、15世紀頃まで続きます。
Lop Buri
ロッブーリ美術様式

ピーマイおよびその周辺で出土されている、ク メール遺跡の建造物を飾るラテライト(赤土)。