タイの僧院
タイ仏教は、寺院を中心とする僧院仏教です。世俗の生活を捨て、227条の戒律を守る決意のしるしとして剃髪し、黄色の三衣をまとって僧院生活を送る出家者中心の仏教です。「出家」と「在家」の区別は厳重で、僧侶の生活形態が「在家」とあまり変わらない日本の仏教僧のイメージとはかけ離れたものがあります。
現在タイには約25万人の僧侶がいるといわれていますが、僧階による服装上の区別はなく、高僧も新参僧もすべて同じ木綿の黄衣をまとっています。僧侶のうち20歳以上の成人男子で、227戒のすべてを守る者をタイ語で「プラ」(比丘)と呼び、これに対し20歳末満で10戒のみを守る少年僧は「ネーン」(沙弥)と呼ばれます。厳密にいうと、「プラ」と「ネーン」だけが「サンガ」とよばれる出家教団の正式なメンバーで、在家者は「サンガ」の構成員ではないようです。※「サンガ」については下段参照
もっとも「ネーン」は「サンガ」の準メンバーといった認識なのか、「ネーン」は月に2度、新月と満月の日に、過去2週間の持戒を反省する目的で開かれ、「サンガ」の最も重要な儀式とされる「ウポーザタ」に出席できないようです。
また、タイ仏教には尼僧はいません。ただ自発的に剃髪し、白衣をまとって修行する「メー・チー」がいます。彼女たちは普通8条の「在家戒」を守ります。正式な「サンガ」の成員ではありませんが、最近では若くして「メー・チー」となる者の数も増え、その宗教的活動も注目されています。
タイ仏教のひとつの特長に、男子がその一生の一時期、短期間出家する「一時出家」の習慣があります。「出家して、結婚し、所帯をもつ」これがタイ人男子の社会的前提となっています。現在タイの「サンガ」は「カナ・ソング・タイ」統一組織で、このサンガに所属しないかぎりタイ僧として認められないようです。
●「サンガ」とは
仏教では、ゴーダマ・ブッダを師と仰いだ出家者の群れを総称して「サンガ」と呼んでいます。現在のタイ国ではこれを「Khana song(カナ・ソン)」と訳していますが、正規の構成員である「Phra(プラ)」と準構成員「Nen(ネーン)」で構成されています。プラは227戒を、ネーンは10戒を守り、いずれも男子の出家者で、女子の出家者である「メー・チー」はサンガの成員とはみなされません。この点、ビクニやサーマネーリのいた初期のインドのサンガとは典なり、完全に男性の世界です。
タイ・サンガのもうひとつの特徴は、今世紀の初頭以来、それが「サンガ法」という国家法の規定の下に置かれている点です。サンガに対する国家権力の干渉の歴史は古く、破戒僧の追放が世俗の権力によって行われた17世紀の記録があり、また19世紀の初めラーマ1世王が「サンガ令」を定めて、僧侶の日常に干渉したことも知られていますが、サンガの組織それ自体が国家によって定められ、その規制の下に置かれるようになったのは1902年の「ラタナコーシン暦121年サンガ統治法」です。この法律の制定により、たとえ仏教の戒律に基づいて行われる宗教的行為(例えば得度式)であっても「サンガ統治法」によらないかぎり法律違反を問われるという体制が確立しました。
絶対王政時代に制定された同法は立憲革命後10年を経た1942年、革命の精神にそって民主主義的に改正され「仏暦2484年サンガ法」が定められました。そして戦後にサリットが独裁的政権を確立すると、この新法は廃止され、1962年に現行の「仏暦2505年サンガ法」が制定されることになります。現行法の特徴はサンガの首長であるサンガラージャ(タイ語はサンカラート)にサンガ管理の全権力を集中し、そのサンガラージャの任免権を政府が握ることによって、サンガの国家権力への従属度をいっそう強くし、サンガの伝統的秩序を乱す要素の排除はこれによってきわめて簡単になったことになります。1989年、サンガラージャを長とする大長老会議の権威を認めず、独白に宗教者の道を歩む権利を主張した僧侶が強制的に還俗せしめられるという事件(サンティ・アソーク事件)が発生しましたが、この事件は現行「サンガ法」の性格を明確に現しています。