仏教の教え「法印」
「諸行無常」
すべてのものごとは、いつまでもそのままではいない。
とくに人間は必ず老い、病み、そして死んでしまう。これはわれわれ人間がいやでも直面しなければならない事実である。無常であるからこそ、なおいっそう心して仏道に励まなければならない。
「諸法無我」
ものごとには、固定的・実体的な本体(我)がないということを意味する。
自分の本体があると思うからこそ、「自分が」とか「自分のもの」といった意識が生じ、我執のとりこになってしまうのである。
「一切皆苦」
輪廻のこの世そして人生は苦しみに満ちている。
これを四苦八苦という。
1 生  苦 生まれるときの産道通過の苦しみ。
2 老  苦 いつまでも若くはいられないという苦しみ。
3 病  苦 病の苦しみ。
4 死  苦 死は必然的に訪れるという苦しみ。
5 愛別離苦(あいべつりく) 愛しいものといつかは別れなければならないという苦しみ。
6 怨憎会苦(おんぞうえく) いやな人ともつきあわなければならないという苦しみ。
7 求道得苦(ぐどうとっく) 求めるものが得られない苦しみ。
8 五陰盛苦(ごおんせいく) 総じて、心身(五陰)の活動が盛んであることによって苦しみが生まれること。
※五陰とは「色」(人間の肉体、または目に見えるもの)、「受」(人間の感受性・感覚のこと)。「想」(表象・想像力のこと)、「行」(何かを意志すること)、「識」(言葉で何かを認識すること)
「涅槃寂静」(ねはん じゃくじょう)
ブッダが悟りを得たとき発見し説いた四諦(したい)という「四つの真実」。
苦 諦 上述の四苦八苦を指す。
集 諦 苦しみが生ずるにはちゃんとした原因があるのだという真実。では、苦しみの原因は何かといえば、この世に生きるものの心のもっとも奥底にある、この世のさまざまな物事に対する「渇愛」であるという。この「渇愛」というのは、ただの欲望ではなく、抑えがたい生への衝動というべきものである。後世、この苦しみの根本原因である「渇愛」は、「無明」ということばに置き換えられることもあった。
滅 諦 苦しみをもたらす原因を取り除けば、苦しみがなくなるのだという真実。苦しみの原因である「渇愛」「無明」を滅すれば、結果である苦しみがなくなるのは当然の道理である。
道 諦 それでは、苦しみ、そしてその原因である渇愛ないしは無明をなくすための道、方法はあるのかというと、これは確かにあるのだという真実。
これが具体的に八正道という形で説かれる。すなわち、
1 正 見 正しい見解
2 正 思 正しい思考
3 正 語 正しい言葉づかい
4 正 業 正しい行為
5 正 命 正しい生活
6 正精進 正しい努力
7 正 念 正しく記憶に留める
8 正 定 正しく精神統一すること
極端を離れ、「中道」の道にかなったものであるといえる。これら八つの正しい道を行えば、人は必ず苦のなくなった状態、すなわち涅槃(ニルヴァーナ、心の平安)に達するというのである。